【史実回想】凱旋門賞に挑んだ日本馬の歴史 #022

ウマ娘

こんにちは。

今回は、10/3に控えた「2021年度 凱旋門賞」への導入記事になっています。

ウマ娘に実装されている競走馬から凱旋門賞へ触れることで、来月の凱旋門賞へのムードを高め、見た時により楽しんでもらえれば幸いです。

それでは今回もよろしくお願いいたします。

◆ 凱旋門賞とは

凱旋門

まず最初に、基礎知識として凱旋門賞についてご説明します。

・歴史

   

創設は1920年のフランス。先んじて創設されていた国際的な3歳限定戦「パリ大賞典」の成功を踏まえ、古馬向けに大規模なレースを考案した結果、凱旋門賞へ至ります。

しかし最初から上手くいっていた訳ではなく、世界的に知れ渡るのは約30年が経過した1950年頃から。賞金の増額から徐々に競走馬の質が上がり、優勝馬が後に大種牡馬になるなど名馬が目指す大レースへ成長しました。

一例として有名な勝ち馬。

馬名
1955.56年リボー
1965年シーバード
1971年ミルリーフ
1986年ダンシングブレーヴ

・レースについて

競走馬

   

次に、凱旋門賞の施行内容について見てみましょう。

仏 凱旋門賞(GⅠ)パリロンシャン競馬場
2,400m 芝/右 3歳以上牡牝 1着賞金:約3億8,000万

2020年はコロナで大幅な減額が行われましたが、今年は2019年時の賞金に戻しての開催となるそうです。3歳以上であれば出走可能ですが、「種牡馬・繁殖牝馬としての能力を図る」目的があるため去勢されたセン馬は出走できません。

   

コースは図の通り。特筆すべきはその高低差で、ゲートから1,000mで約10mを上ります。そこから上った分をコーナーで一気に下り、勢いを付けた状態で約500mの最後の直線へ突入します。

そして有名なのが「フォルスストレート」。図の右下辺りの緩やかなコーナーから直線にかけてを指します。急な下り坂で付けた勢いそのままにいけますが、当然そうなるとスピードが出て馬の消耗も加速、体力を著しく削られます。

ハルウララ

   

すると、先頭で最後の直線へ飛び出しても残りはまだ約500mも…脚が持ちませんね。イメージが湧きにくい方は、日本ダービーの最後の直線が(距離が似ている)フォルスストレートの後に残っているとお考え下さい。

フォルスストレートは「偽りの直線」とも呼ばれるように、勢いがあるので仕掛けたくなるが、仕掛けると最後に脚が上がってしまう魔の区間なのです。

   

このように、基本的なスピード・スタミナに加えて激しい高低差をクリアするパワー、トリッキーなコース形状など日本競馬では求められない要素が大変多く存在するのが凱旋門賞の難しさになります。

◆ 凱旋門賞と日本競馬

それでは、本題の日本馬の凱旋門賞挑戦を振り返ります。

・凱旋門賞への挑戦

エルコンドルパサー・ブロワイエ

   

日本馬の凱旋門賞挑戦は1969年、スピードシンボリ(着外)から始まります。続いたのは1972年のメジロムサシ(18着)で、後に時代を作るシンボリ牧場、メジロ牧場の両雄が凱旋門賞、フランスへの扉を叩きます。

それが形になるのが1999年のエルコンドルパサー。早目に抜け出しを図るも差され2着でしたが、現地メディアに勝ち馬は2頭いたと唸らせるほどの走りを見せ、日本馬が凱旋門賞で通用する可能性を示しました。

   

しかし2021年の現在までに凱旋門賞を制した日本馬は0頭。厳しい現実が数字として刻まれています。初挑戦から52年、今年こそ日本競馬の悲願達成となるでしょうか。

・日本馬の成績

マンハッタンカフェ

   

それではお待ちかね、日本馬の成績を見てみましょう。今回はウマ娘→ウマ娘以外で全ての競走馬を記します。複数回挑んでいる馬に関しては、最高着順の年を掲載します。

ウマ娘実装済の競走馬成績

馬名性齢着順
2017年サトノダイヤモンド牡415着
2014年ゴールドシップ牡514着
2010年ナカヤマフェスタ牡42着
2002年マンハッタンカフェ牡413着
1999年エルコンドルパサー牡42着
1986年シリウスシンボリ牡514着

その他の凱旋門賞出走馬一覧

馬名性齢着順
2020年ディアドラ牝68着
2019年キセキ牡57着
2019年ブラストワンピース牡411着
2019年フィエールマン牡412着
2018年クリンチャー牡417着
2017年サトノノブレス牡716着
2016年マカヒキ牡314着
2014年ジャスタウェイ牡58着
2014年ハープスター牝36着
2013年キズナ牡44着
2012年オルフェーヴル牡42着
2012年アヴェンティーノ牡817着
2011年ヒルノダムール牡410着
2010年ヴィクトワールピサ牡37着
2008年メイショウサムソン牡510着
2006年ディープインパクト牡4失格
2004年タップダンスシチー牡717着
1986年シリウスシンボリ牡514着
1972年メジロムサシ牡518着
1969年スピードシンボリ牡6着外

   

少し長いですが、このようになっています。1969年のスピードシンボリの際は「10着までしか着順を付けない」仕様であったため着外表記となっています。言い換えれば11着以下です。

   

2006年のディープインパクトは本当に期待されていましたが、3歳馬レイルリンクに敗れ3着。その後に禁止薬物が確認され失格処分など、後味の悪いものとなりました。

薬物に関しては、現地で咳き込むディープに対して投与された薬がレース出走時に体内に滞留していたことが失格の理由となっています。(レース出走前に抜けていれば問題なかった)

   

2012年のオルフェーヴルは有名ですね、観戦していた誰もが勝ったと思うレースでした。この翌年2013年も2着に入っており、日本で唯一の2年連続2着馬として名を刻んでいます。

・ナカヤマフェスタという馬

ナカヤマフェスタ

   

凱旋門賞の話題になるとエルコンドルパサーがよく挙げられるので、今回はナカヤマフェスタについて少しお話しようと思います。

ナカヤマフェスタはステイゴールド産駒。新馬戦は3番人気で勝利し、続く東京スポーツ杯2歳Sも優勝とデビューから連勝を重ねます。しかしクラシックでの評価は高くなく、結果も皐月賞8着、ダービー4着、菊花賞12着と思うようにいきません。

   

しかし翌年は馬が変わったのか、OPで勝利すると次走の宝塚記念では8番人気ながら名牝ブエナビスタを破る大金星。その勢いでフランスへ乗り込むと、前哨戦2着から本番の凱旋門賞でもあわや優勝の大激走。期待以上の走りで関係者を驚かせます。

しかし帰国後のジャパンカップでは14着と大敗。その後は故障も重なり次走をリベンジとなるフランスに定めますが、前哨戦4着の凱旋門賞11着と結果を残せず、このレースをもって引退となりました。

   

こう見るとGⅠは宝塚記念のみですが、2010年の凱旋門賞は非常に強い内容でした。ゲーム内の勝つか負けるかのギャンブルキャラは、史実の戦績から来ているような気がしますね。

◆ まとめ

いかがだったでしょうか。少しでも凱旋門賞への興味が湧いたなら幸いです。

   

今回は「凱旋門賞という話題に触れていただく」ための記事ですので、また本番が近くなりましたら今年の有力馬の紹介や展望の記事を書きたいと思います。

ナカヤマフェスタは蛯名騎手が乗っていたのですが、エルコンドルパサーの時も蛯名騎手なんですよね。日本人騎手で凱旋門賞2着は蛯名騎手だけな上に1人で2回、大変歯がゆい思いをされていると思います。

調教師の先生へ転身された蛯名先生の手掛ける競走馬が、いつか凱旋門賞で優勝する日が来るかも知れませんね。

   

それでは今回はここまでです。ありがとうございました。

コメント

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