【史実回想】ひたむきにむん! マチカネタンホイザ #037

ウマ娘

こんにちは。

お久しぶりです。もうすぐウマ娘も1周年、時間が経つのは早いですね。

さて今回は【史実回想】11頭目、マチカネタンホイザについてご紹介したいと思います。

えい! えい! むん! な競走生活とは一体どのようなものだったのでしょうか。

   

ひたむきに前を向き、多くのライバルたちと駆け抜けたターフの軌跡―――

◆ 競走生活(1991/09~1995/12)

マチカネタンホイザ
生年月日1989年05月07日
両親父:ノーザンテースト
母:クリプシー
性齢牡24歳 没
デビュー1991年09月15日
引退レース1995年12月09日
ステイヤースS
競走成績32戦08勝
獲得賞金中央:約5億1,750万
GⅠ実績―――――――
現在―――――――

   

1989年に父ノーザンテーストと母クリプシーから誕生。

父ノーザンテーストは吉田照哉(社台ファーム)が当時アメリカで落札した後、1973年にデビューし20戦5勝(GⅠを1勝)で現役を終え日本へ輸入されました。

そして日本で種牡馬となると大成功。次々と重賞馬にGⅠ馬を輩出し1982年から1992年までリーディングサイアーに輝くなど目覚ましい活躍を見せるなど、多くの記録を打ち立て一時代を築いた名馬として名を残しています。

   

母は国内産のクリプシー。現役時代は11戦2勝と奮いませんが、繁殖に移ってからは13頭の母に。そのうち重賞馬となったのは2頭とまずまずの結果を残し、マチカネタンホイザを始めとしたマチカネの名を冠する馬を複数送り出しました。

また、馬名の由来は冠名+ワーグナーの歌劇タンホイザーから来ています。

・3歳シーズン

年/月レース条件人気着順共に走った実装馬
1991/09新馬戦芝1,700m21―――――――
1991/10いちょうS芝1,600m24―――――――
1991/11府中3歳S芝1,800m11―――――――
1991/12朝日杯3歳S芝1.600m34ミホノブルボン(1着)

   

デビュー戦は1991年の9月。2番人気ながらいきなりレコード勝ちという最高のスタートを切りますが、次走のいちょうSでは中団から差し切れず4着に。しかし3走目の府中3歳Sで先行策から3馬身差の快勝と巻き返すと、4走目には3歳王者を決める朝日杯3歳Sへ進みます。

   

そして迎えた朝日杯は3番人気の評価。1番人気には前走を6馬身差の圧勝と1強ムード漂うミホノブルボンが入り、逆転を狙う形で発走を待ちます。

ゲートが開くとミホノブルボンらが前を形成するのを見ながら中団の内ラチ沿いを追走、じっくり脚を溜めます。しかし最後の直線に入ると前ではミホノブルボンとヤマニンミラクルの壮絶な叩き合いに。残り約200m地点からこれを追うように仕掛けますが前は遠く、最後は届かずの4着と敗れました。

・4歳シーズン

年/月レース条件人気着順共に走った実装馬
1992/02共同通信杯芝1,800m24―――――――
1992/03スプリングS芝1,800m45ミホノブルボン(1着)
ライスシャワー(4着)
サクラバクシンオー(12着)
1992/04皐月賞芝2,000m77ミホノブルボン(1着)
ライスシャワー(8着)
1992/05NHK杯芝2,000m32ライスシャワー(8着)
1992/05東京優駿芝2,400m84ミホノブルボン(1着)
ライスシャワー(2着)
1992/10カシオペアS芝1,800m32―――――――
1992/11菊花賞芝3,000m33ライスシャワー(1着)
ミホノブルボン(2着)

   

4歳となり最初に選んだ共同通信杯は2番手から粘れず4着、次走のスプリングSは中団から差していくも届かず5着と中々結果が出ませんが、季節は春へと移りいよいよ皐月賞がやってきます。

皐月賞では近走の物足りなさが影響したか7番人気止まりで発走を迎え、結果も中団後方から脚を伸ばして7着とイマイチな結果に終わります。ですが次走のNHK杯では1番人気のナリタタイセイに食い下がっての2着と久々の好走、東京優駿へ弾みを付けます。

   

迎えた東京優駿は皐月賞と似た支持で8番人気に推されると、ゲートを出てすぐに後方へ。最後の直線勝負まで脚を溜めます。しかしここでも見事な逃げ切りを見せたミホノブルボンが無敗の二冠とすると、それについていったライスシャワーが2着。追い込んだマチカネタンホイザは4着までが精一杯でした。

その後は夏を休養へ充て秋にカシオペアSから再始動。久しぶりのレースながら2着とし実戦感覚を戻すと、最後の一冠となる菊花賞へ。無敗の三冠を目指すミホノブルボンへ挑みます。

   

そして菊花賞。ゲートから前に出したマチカネタンホイザは、ミホノブルボンやライスシャワーと先頭集団を形成するとそのまま道中を進み、淀の坂を経て最後の直線へ。早め先頭のミホノブルボンと捕まえに行くライスシャワーを内から攻めますが順位は変わらず、最後はその2頭に続く3着となりました。

4歳シーズンは菊花賞を最後に休養へ入り、次走は翌年の5歳シーズンへと繋がっていきます。

・5歳シーズン

年/月レース条件人気着順共に走った実装馬
1993/01中山金杯芝2,000m18ツインターボ(6着)
1993/01ダイヤモンドS芝3,200m11―――――――
1993/02目黒記念芝2,500m11ライスシャワー(2着)
1993/04天皇賞春芝3,200m34ライスシャワー(1着)
メジロマックイーン(2着)
メジロパーマー(3着)
イクノディクタス(9着)
1993/05メイS芝2,400m11―――――――
1993/07高松宮杯芝2,000m24ナリタタイシン(2着)
1993/11富士S芝1,800m11イクノディクタス(8着)
1993/11ジャパンカップ芝2,400m1315ウイニングチケット(3着)
ナイスネイチャ(7着)
メジロパーマー(10着)
ライスシャワー(14着)
1993/12有馬記念芝2,500m134トウカイテイオー(1着)
ビワハヤヒデ(2着)
ナイスネイチャ(3着)
メジロパーマー(6着)
ライスシャワー(8着)
ウイニングチケット(11着)

   

古馬となった初戦は金杯から。年明け早々1番人気に推されますが、先行策が裏目に出て8着と敗北。しかしそこから長距離重賞を連勝しステイヤーとして文句ない実績を積むと、春の大一番である天皇賞春へ挑みます。

人気は同レース三連覇と大偉業目前の1番人気メジロマックイーン、菊花賞でのレコード勝利に加え、前走から-12kgと鋭く研ぎ澄まされた空気を纏う2番人気ライスシャワーに次ぐ3番人気。強敵に挑むレースが幕を開けます。

   

スタートすると前評判通りメジロパーマーが引っ張る展開になり、それを見る形でメジロマックイーンが先行、マチカネタンホイザはライスシャワーと同じ5、6番手の位置からそのメジロマックイーンを見る形で道中を進めます。

そしてレースが動く終盤。メジロマックイーンが早目に仕掛けると、同時に動くライスシャワーを見送りながらマチカネタンホイザはじっと脚を溜め仕掛けを待ちます。この溜めが吉と出るか凶と出るか、残すは最後の直線のみ。

迎えた最後の直線。満を持してといった様子で追い出しを始めるマチカネタンホイザでしたが、前はまたも遥か先。逃げたメジロパーマーを捕まえたメジロマックイーン、その時を待っていたライスシャワーの3頭に遅れること6馬身。完敗といえる内容で春の頂上決戦は4着に終わりました。

   

その後はメイS、富士Sで勝利を挙げるも高松宮杯、ジャパンカップは敗北。しかし暮れの有馬記念では13番人気の低評価ながら、後方一気の追い上げで3着のナイスネイチャとタイム差無しの4着。悪くない形でこの年を締めくくりました。

・6歳シーズン

年/月レース条件人気着順共に走った実装馬
1994/01AJCC芝2,200m41ツインターボ(6着)
ナイスネイチャ(7着)
1994/03日経賞芝2,500m13ライスシャワー(2着)
ツインターボ(6着)
1994/04天皇賞春芝3,200m55ビワハヤヒデ(1着)
ナリタタイシン(2着)
ナイスネイチャ(4着)
1994/05京阪杯芝2,000m25―――――――
1994/06宝塚記念芝2,200m99ビワハヤヒデ(1着)
ナイスネイチャ(4着)
1994/10毎日王冠芝1,800m65サクラバクシンオー(4着)
ナイスネイチャ(6着)
1994/10天皇賞秋芝2,000m74ビワハヤヒデ(5着)
ナイスネイチャ(7着)
ウイニングチケット(8着)
1994/11ジャパンカップ芝2,400m除外ナイスネイチャ(8着)
1994/12有馬記念芝2,500m取消ナリタブライアン(1着)
ヒシアマゾン(2着)
ライスシャワー(3着)
ナイスネイチャ(5着)
ツインターボ(13着)

   

6歳となり初戦のAJCCは4番人気ながらメンバー最速の末脚で差し切り優勝、幸先の良いスタートを切ります。因みにこれまでは先行策と後方策の両にらみでレースを組み立てていたマチカネタンホイザですが、この年は差し、追い込みの後方競馬を一年通して戦います。

しかし次走の日経賞では人気に応えられず3着。その後も優勝からは遠ざかるレースが続き、この年は1勝のみに留まります。しかし宝塚記念以外は全て5着以内と一定の安定感は示し、鼻出血に蕁麻疹で除外、取消となった暮れの2戦は走っていたらどうなっていたか気になるところです。

・7歳シーズン

年/月レース条件人気着順共に走った実装馬
1995/07高松宮杯芝2,000m31ヒシアマゾン(5着)
1995/08函館記念芝2,000m18―――――――
1995/10天皇賞秋芝2,000m56ナリタブライアン(12着)
1995/11ジャパンカップ芝2,400m1112ヒシアマゾン(2着)
ナリタブライアン(6着)
ナイスネイチャ(13着)
1995/12ステイヤーズS芝3,600m37―――――――

   

最後のシーズンとなる7歳ですが、上半期はフレグモーネの影響でレースには出走せず初戦は7月の高松宮杯となります。すると約8ヶ月振りのレースながら3番人気に推されると、中団から一気の差し脚で優勝。昨年同様に初戦を勝利で飾ります。

しかしその後の函館記念からジャパンカップまでは掲示板からも外れるようになり、持ち味の末脚も目に見えて鈍くなっていきます。そして有馬記念でなくステイヤーズSへ臨むも9頭中7着とかつての走りはそこになく、これをもって引退となりました。

◆ マチカネタンホイザについて

マチカネタンホイザ

結果を見れば善戦ホースといった感想になるのでしょうか。G2では勝利を挙げていますし、G1でも4着が4度と惜しい競馬をしています。また、脚質が先行と差しで使い分けられていたのは面白いですね。メンバー上り最速が複数回など末脚が鋭い馬でしたので、後方一気は魅了十分でした。

   

そしてよく話題に上がる蕁麻疹ですが、蜘蛛を食べてしまったためという話をよく耳にしますね。これはタンホイザに出た症状が関係者の中で「クモ疹」と呼ばれるものに似ていたためらしく、急激な気温の低下によるストレスでも同様の症状が出ることもあり、真相は明らかになっていないとか…..

最後までG1には縁のない馬でしたが、それと遜色ない称賛を受けたのが1995年の高松宮杯。約6万2,000人の大観衆から惜しみない歓声が上り、マチカネタンホイザの人気を再確認するレースとなったそうです。

・競走生活から見る関係性

マチカネタンホイザとナイスネイチャ

実際にレースを共に走った競走馬ですが、これは最初に紹介した競走生活の中から確認することができます。詳細は以下の通りまとめておきます。

除外、取消のレースを含む

馬名回数
ライスシャワー11走
ナイスネイチャ10走
ミホノブルボン5走
ツインターボ4走
ビワハヤヒデ4走
メジロパーマー3走
ウイニングチケット3走
ナリタブライアン3走
ヒシアマゾン3走
サクラバクシンオー2走
ナリタタイシン2走
メジロマックイーン1走
イクノディクタス1走
トウカイテイオー1走

※ 太字はカノープスのメンバー

少々縦長になりましたが、多い順に並べるとこのようになります。イクノこそ1度のみですが、ターボとネイチャは複数回レースを共にしていますね。しかしそんなネイチャよりもライスの方が多かったのは調べていて驚きました。やはり同期で同じステイヤーだと一緒になるレースが増えますね。

また、BNWナリタブライアン果てはトウカイテイオーのラストランとなる有馬記念など、多くのライバルと走っていることも特徴。ウマ娘に実装されている子は1989年~1998年辺りに集中しているので、この時代の子は割と頻繁に顔を合わせていたりします。

◆ まとめ


いかがだったでしょうか。初めて知る内容があれば嬉しく思います。

   

今回は新たな試みとして全レースの詳細も載せてみましたがいかがだったでしょうか。思ったよりも時間が必要だったため、あまり良い感じでなければまた元に戻すかもしれません。

また。近々noteの方でウマ娘についてのお役立ち情報をまとめていく予定です。完成次第お知らせしますので今しばらくお待ちください。

   

それでは今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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