こんにちは。
【実装考察】第四弾です。前回から約3週間振りということで、気付けば割と経っていました…。
ということで今回は「ナリタトップロード」、1999年のクラシック三強最後の1頭ですね。「ナリタ」は実装済みですし、ここは実装して欲しいところ。
多くのファンに愛された名馬は、最後まで一線で走り続けその蹄跡をターフへ刻みました。
◆ 競走成績(1998/12~2002/12)
ナリタトップロード | |
生年月日 | 1996年5月3日 |
両親 | 父:サッカーボーイ 母:フローラルマジック |
性齢 | 牡 9歳没 |
デビュー | 1998年12月5日 |
引退レース | 2002年12月22日 有馬記念 |
競走成績 | 30戦8勝 |
獲得賞金 | 9億9,011万 |
GⅠ実績 | 1999年:菊花賞 |
父は通称「弾丸シュート」サッカーボーイ、母はフローラルマジック。生産した佐々木牧場は他にダートで重賞7勝(地方含む)のオースミジェットや重賞で好走していたブルーイレヴンなどがいます。
新馬戦は2,000mから。 ナリタトップロードは長距離適性を見込まれて沖芳夫厩舎に預けられた経緯があり、デビューから引退まで30戦を走りますが、1,800m以下を走るのは後のきさらぎ賞(GⅢ)のみになります。
鞍上は渡辺薫彦騎手。当時はデビュー5年目の23歳と非常に若手で重賞も未勝利でしたが、ナリタトップロードを管理する沖芳夫厩舎の所属騎手であったこともあり、主戦騎手となります。
※ 父の渡辺薫氏が長年に渡り沖芳夫厩舎の厩務員であり、親子ともども長い付き合いだった。渡辺騎手と沖調教師は、今なお師弟の関係である。
新馬戦では1番人気も差しが届かず2着となるものの、次走は2番手から進め逃げる先頭をキッチリ捕まえて勝利。その後は3戦目の500万下条件で3着と好走を見せた後、翌年の初戦きさらぎ賞へ向かいます。
きさらぎ賞では格上げ挑戦ながら2番人気に推されると、単勝1.3倍の圧倒的支持を受けたエイシンキャメロンを退け優勝。勢いそのままに弥生賞へ進むと、これまた単勝1.5倍のアドマイヤベガの猛追を振り切り連勝。一気にクラシックの主役へ躍り出ます。
迎えた皐月賞。2番人気での出走となり1番人気は譲りますが、その1番人気アドマイヤベガは-12kgと明らかな体調不良。人馬共に未達のGⅠタイトルへ大きな期待がかかります。
しかしレースが始まると、外の馬に進路を取らせてもらえず内目後方へ下がってしまいます。その後も抜けだすタイミングが無く、最後の直線こそばらけた馬群の真ん中から伸びますが大外強襲のテイエムオペラオー、内から抜け出したオースミブライトに屈し3着に敗れます。
続く日本ダービーでは1番人気に推されますが、テイエムオペラオー、アドマイヤベガとのオッズ差はほとんどなく、3強を形成する形でレースへ臨みます。レースはスロー気味に進み、最後の直線ではテイエムオペラオーとの一騎打ちになりますが、気付けば後ろに天才の影。
残り200mを切ってテイエムオペラオーを交わし先頭に立ったナリタトップロードでしたが、日本ダービー初騎乗の渡辺騎手に対するのは、前年にスペシャルウィークで念願のダービージョッキーとなった武豊騎手。このラスト200mを狙っていました。
先頭も束の間、一気に並ばれると抵抗むなしく最後はクビ差で惜敗、2着と敗れます。このレースを回顧すると、関係者もご本人も口をそろえて「騎手としての差」と語り、ダービーを勝つ難しさを見ていた全ての人が再認識するレースとなりました。
そんな善戦続きのナリタトップロードですが、最後の一冠だけは譲れません。
休養後の秋初戦、京都新聞杯でアドマイヤベガの2着とすると、本番の菊花賞では3番人気。レースも終始好位で進め、最後の直線で狙い通り抜け出します。そこへまたも外からテイエムオペラオーの強襲を受けますが、今回はクビ差で押し切り。ガッツポーズと共に、悲願の初GⅠ制覇を成し遂げました。
暮れの有馬記念では黄金世代のスペシャルウィーク、グラスワンダーに挑む形で4番人気の支持を受けますが結果は7着。壁に跳ね返される形で初めて4着以下に敗れます。
5歳になり古馬として再始動しますが、この年に8戦8勝で「世紀末覇王」と呼ばれるテイエムオペラオーに年明けから5連敗すると、次走の単勝1.3倍で迎えたステイヤーズSでもまさかの4着。渡辺騎手は初めて主戦から降板となります。
代わりに鞍上へ迎えたのは、翌年の2月に引退が決まっている的場騎手。名手に復活を託しますが、2戦走り有馬記念9着、京都記念3着と結果は振るいませんでした。
しかし次走の阪神大賞典で再び渡辺騎手に戻ると、久々のパートナーに喜んだのか8馬身差を付けるレコード記録で快勝。圧巻のレースで菊花賞以来の重賞勝利を果たします。
その後は再び勝利から遠ざかってしまい、次の勝利は翌年の京都記念に。最終年となるこの年はGⅠこそ届きませんがGⅡで3勝を挙げると、ラストランの有馬記念ではファン投票1位を獲得します。
(※ 近3走は怪我で四位騎手へと乗り替わっていたが、ラストランでは渡辺騎手へと戻っている。)
結果は4着でしたが、長く一線で走った名馬に、スタンドからは惜しみのない拍手が送られました。
◆ 実装済みのウマ娘との関連

勿論クラシック三強ですね。テイエムオペラオーにアドマイヤベガです。メイショウドトウも忘れてはいけません。
ダービー馬はアドマイヤベガ、実績はオペラオーにドトウですが、一番長く走ったのはトップロード。それぞれに役割がしっかりあって、キャラクターも立ってますね。
ライバルはオペラオーは除くとして、他ですと多くの馬と競ったってイメージでしょうか。固定で名指しするほど縁が深かった馬はいないように思えます。
以下は古馬(2000年以降)の対戦馬一覧です。
| ナリタトップロード | テイエムオペラオー | メイショウドトウ | マンハッタンカフェ |
2000/02/20 京都記念 | 2着(2人気) | 1着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2000/03/19 阪神大賞典 | 3着(3人気) | 1着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2000/04/30 天皇賞 春 | 3着(2人気) | 1着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2000/10/08 京都大賞典 | 2着(2人気) | 1着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2000/10/29 天皇賞 秋 | 5着(3人気) | 1着(1人気) | 2着(2人気) | ―――――― |
2000/12/24 有馬記念 | 9着(3人気) | 1着(1人気) | 2着(2人気) | ―――――― |
2001/04/29 天皇賞 春 | 3着(2人気) | 1着(1人気) | 2着(3人気) | ―――――― |
2001/10/07 京都大賞典 | 中止(2人気) | 1着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2001/10/28 天皇賞 秋 | 3着(2人気) | 2着(1人気) | ―――――― | ―――――― |
2001/11/25 ジャパンカップ | 3着(5人気) | 2着(1人気) | 5着(3人気) | ―――――― |
2001/12/23 有馬記念 | 10着(4人気) | 5着(1人気) | 4着(2人気) | 1着(3人気) |
引退 ↓エアシャカール↓ | 引退 | |||
2002/04/28 天皇賞 春 | 3着(1人気) | ―――――― | ―――――― | 1着(2人気) |
2002/10/27 天皇賞 秋 | 2着(2人気) | 4着(6人気) | ―――――― | ―――――― |
2002/11/24 ジャパンカップ | 10着(2人気) | 12着(7人気) | ―――――― | ―――――― |
2002/12/22 有馬記念 | 4着(4人気) | 9着(7人気) | ―――――― | ―――――― |
◆ 実装の可能性を考えた理由

ナリタトップロードを取り上げた理由ですが、まとめると以下になります。
・ナリタの馬主様から許可をもらえている(ブライアン、タイシンなどの実装から)
・1999年クラシック3強が完成する ※1
・シンボリクリスエスに向けてシナリオの下地を作れる
・テイエムオペラオーの裏を描ける
一番の課題である馬名使用の許可は大丈夫そうなので、(トップロードだけ使用許可が下りない理由をご存知の方はコメントで教えてくださると助かります)以上のプラス要素から実装の可能性に至りました。
まず※1の1999年クラシック3強についてですが、先日のメイショウドトウ実装に伴いそのシナリオ内で「オペラオー、ドトウ、アドマイヤベガ」の3人で黄金世代に挑むと演説する場面があったので、トップロードはそこには絡まない可能性が高いです。
不仲は作らないようにしているウマ娘なので、この演説から考察すると「トップロードは別路線のシナリオ」を組まれる可能性に行き着きます。つまりは古馬の話メイン、更に言うなら2002年ベースですね。
そうすればオペラオーとドトウを中心とした2000年以外を描けますし、他のキャラクターとの絡みも増やすことができるのではないか、と考えます。
※ オペラオーは持ってないので知りませんが、ドトウはシニア級が2000年+aベースの話になっている
また、そこでシンボリクリスエスですね。2002年に日本ダービー2着に加え、3歳にして秋古馬三冠を獲りかけた大物で、名前の通りシンボリ一族なので実装の可能性を有しています。
このように、史実ベースでいくとシナリオ登場キャラクターがどうしても時代で縛られてくるので、「同じレースで走っており、実装済みの冠名の名馬」への準備を進めるのではと考察しました。
◆ まとめ
いかがだったでしょう。普通にあると思ってる馬なのですが、どうなるでしょうか。
最後の有馬記念が示すように大変ファンの多かった競走馬なので、2002年という比較的最近(最近…?)の馬であれば、ユーザーの中でも推していた方は多いのではないでしょうか。
因みに、もし実装が叶えばガチガチのステイヤーです。あと、雨が苦手だったという話が残っていますが、その辺りがシナリオに影響したりするんでしょうか?
(その証拠に、これだけ走っていても梅雨時に開催の宝塚記念の出走は1度もない。)
それでは今回はここまでです。またお会いしましょう。