こんにちは。
豪雨だったりカンカン照りだったり、体調管理には十分お気を付けください。
さて今回は【史実回想】3頭目、サクラチヨノオーをご紹介したいと思います。
シンデレラグレイの新刊発売記念に。表紙を見て気になったので、せっかくなら記事で共有しようと。
一番の大舞台で一番の力を発揮してこそ、世代の頂点に相応しい。そう、彼のように。
◆ 競走生活(1987/08~1989/06)
サクラチヨノオー | |
生年月日 | 1985年2月19日 |
両親 | 父:マルゼンスキー 母:サクラセダン |
性齢 | 牡27歳 没 |
デビュー | 1987年8月8日 |
引退レース | 1989年6月11日 宝塚記念 |
競走成績 | 10戦5勝 |
獲得賞金 | 中央:2億1,532万9,000円 |
GⅠ実績 | 1987年:朝日杯3歳S 1988年:日本ダービー |
現在 | ――――――――― |
1985年、父マルゼンスキー、母サクラセダンから誕生。
この組み合わせの配合は牧場で3度目となりますが、1頭目のサクラトウコウが重賞2勝と結果を残したことから再度種付けが行われ、間にサクラセダンスキーを挟む3番目の子として生まれました。
良馬体で長い距離も向きそうなことから期待は大きく、サクラの冠名にウルフフィーバーなど当時の大相撲界の中心であった千代の富士からチヨノオーを合わせた、サクラチヨノオーと命名されます。
デビュー戦では単勝1.0倍の圧倒的人気。勝負を避けられたのかレースも5頭立てと少数で行われ、期待に応えて快勝します。次走のOPも楽勝でパスしますが、3戦目は不良馬場や展開に苦戦し2着まで。
初の敗北も、陣営は良馬場であれば問題ないと重く受け止めず3歳の大一番、朝日杯3歳Sへ進みます。
大雪やライバルの故障など、様々なアクシデントが重なった結果本番はわずか6頭の出走。単勝1.9倍の1番人気に支持されると、3番人気のツジノショウグンと前で競りながら最後の直線へ。
ギリギリまでもつれたものの、これをクビ差退けたサクラチヨノオーは東の3歳馬の頂点に立ちます。
しかしレースレベルに疑問が残るのに加え、西の阪神3歳Sで後の「弾丸シュート」サッカーボーイがレコード勝ちを収めたことから、最優秀3歳牡馬はサッカーボーイが受賞となります。
年が明け4歳初戦は共同通信杯。1番人気に推されますが、軽い仕上げが災いし4着と初めて連帯を外します。レースも言い訳のできない内容であり、油断の招いた痛い敗戦となります。
これを反省し仕上げて臨んだ次走は弥生賞。サッカーボーイとの初対戦になり人気もそれに次ぐ2番人気でしたが、スローペースを前で進めたサクラチヨノオーがそのまま逃げ切り勝ち。サッカーボーイは追い込むも3着までとなります。
迎えた皐月賞ではサッカーボーイが不在も、モガミナインに次ぐ2番人気の評価でレースへ。しかし最後の直線で抜け出したヤエノムテキに食い下がるところを、大外強襲のディクターランドに交わされ3着と敗れます。
人気を背負いながら9番人気、14番人気と低評価の2頭に力負けしたサクラチヨノオーには厳しいコメントが多く寄せられ、日本ダービーへの世間の期待は急速に冷めていきます。
そして世代の頂上を決める日本ダービー。抜けた馬がおらず、サッカーボーイはNHK杯4着からの参戦で1番人気も5.8倍。どの馬が勝ってもおかしくない状態で、サクラチヨノオーは単勝9.4倍の3番人気とまずまずの評価となります。
終始前で進めたサクラチヨノオーは最後の直線でじわじわと抜け出しを図りますが、内から伸びるNHK杯2着のメジロアルダンに残り200m付近で交わされると、後ろからはNHK杯3着のコクサイトリプル。皐月賞の再現となってしまうのか。
しかし、サクラチヨノオーは息を吹き返します。鬼気迫る鞭に応え勢いを取り戻すと、残り約50mで逆転。そのままクビ差をつけて悲願の日本ダービー優勝を勝ち取りました。
「技術ではない。魂をぶつけ、気が狂ったように彼に要求した」とは鞍上の小島太騎手。調教師の境勝太郎氏が「2着でいいから残れ!」と叫ぶほどの劣勢を覆して掴んだ勲章は、境氏の調教師生活で唯一の日本ダービー制覇となっています。
※ 境勝太郎…サクラバクシンオー、サクラローレルなどを手掛けた名伯楽。
ところがこの後に右前脚に屈腱炎を発症。長期離脱は約1年に及び、復帰戦は翌年の安田記念まで待つことに。久々ながら3番人気とファンの期待は大きいものでしたが、結果は勝ち馬から3.4秒遅れての16着と残念な結果に。
その後も宝塚記念へ出走しますが、連続での16着とするとレース後に再び屈腱炎の診断。二度の長期離脱は無く、この宝塚記念をもって引退となりました。
引退後は種牡馬入りしてサクラエキスパートやマイターンなどを輩出しますが、目立った活躍はできず2002年に種牡馬も引退。去勢を施した後、功労馬として牧場でゆっくり余生を過ごしました。
◆ サクラチヨノオーについて

第55回日本ダービー馬となったサクラチヨノオーですが、この世代はオグリキャップやスーパークリークなどが君臨した、いわゆる「第二次競馬ブーム」「平成三強」の時代。
実際にクラシックを共に戦ったヤエノムテキやサッカーボーイはこれらの馬と走っており、健在であればここに加わっていたことが予想されます。
・実際の結果から予想するIF

一番に考えてみたかったので、これから行きます。もし怪我がなければどうなっていたのか。ということで、日本ダービー以降のGⅠを順番に見ていきましょう。(2,000m以上)
1着 | 2着 | 3着 | |
1988:菊花賞 | スーパークリーク 3人気(8.9倍) | ガクエンツービート 7人気(19.5倍) | アルファレックス 18人気(116.9倍) |
1988:天皇賞秋 | タマモクロス 2人気(2.6倍) | オグリキャップ 1人気(2.1倍) | レジェンドテイオー 9人気(31.3倍) |
1988:ジャパンカップ | ペイザバトラー 9人気(14.9倍) | タマモクロス 1人気(3.2倍) | オグリキャップ 3人気(6.9倍) |
1988:有馬記念 | オグリキャップ 2人気(3.7倍) | タマモクロス 1人気(2.4倍) | サッカーボーイ 3人気(4.8倍) |
1989:天皇賞春 | イナリワン 4人気(9.3倍) | ミスターシクレノン 16人気(148.7倍) | スルーオダイナ 1人気(3.0倍) |
1989:宝塚記念 | イナリワン 2人気(4.8倍) | フレッシュボイス 10人気(25.7倍) | ミスターシクレノン 7人気(20.3倍) |
1989:天皇賞秋 | スーパークリーク 2人気(4.5倍) | オグリキャップ 1人気(1.9倍) | メジロアルダン 3人気(5.5倍) |
1989:ジャパンカップ | ホーリックス 9人気(19.9倍) | オグリキャップ 2人気(5.5倍) | ペイザバトラー 6人気(8.6倍) |
1989:有馬記念 | イナリワン 4人気(16.7倍) | スーパークリーク 2人気(3.1倍) | サクラホクトオー 3人気(12.6倍) |
※ 平成三強・クラシックのライバル・その他強豪
こう見ると、平成三強と呼ばれる理由が分かりますね…3頭でどれだけ埋めるんだって感じです。ジャパンカップのペイザバトラー、ホーリックスは海外馬ですね。入っていませんが凱旋門賞馬のトニービンなども来日しています。
距離適性と見る2,000m~2,400mを洗ってみましたが、問題はオグリキャップですね。タマモクロスは1988年までなので、1989年以降であれば可能性はあると思います。
特にこの後の1990年天皇賞秋などは1着ヤエノムテキ、2着メジロアルダンでの決着にもなっていますし、サクラチヨノオーも早熟で無い限りこの辺りに絡んでいたのではないかと。
そして早熟論に関しては父がマルゼンスキーですが、その圧倒的なスピードこそ語られど早熟と言われているのは聞いたことがありません。
加えて母の父にマルゼンスキーを持つスペシャルウィークなどの活躍を見るに、普通の成長曲線だったのではないかと考えます。
・メジロアルダンとの関係

これはね、ずっと思ってたんですよ。ダービーシナリオ組む気満々だなって。
公式サイトを見に行っても分かるんですが、お隣さんなんですよ。つまり何かしらの意図があって同時期にキャラクター実装されたんですね。そして2頭の因果は日本ダービーのみ。
つまりそういうことです。加えてお互いに名門ですねってことくらい。名門の代表として譲れない! みたいな感じになりそうですね。
あとは少し強引ですが血統の面。サクラチヨノオーの父マルゼンスキーに対して、メジロアルダンの父の父がノーザンテーストなんですよね。(理事長は確定情報が公式から出てないので言及しません)
種牡馬としての話になりますが、マルゼンスキーがリーディングサイアーに近かった1984年~1991年に君臨してたのがノーザンテーストなんですよ。特に1988年は2位でしたから、そういった意味でライバル関係作れる? と。やはり強引かな…。
◆ まとめ
いかがだったでしょうか。楽しんでいただけたなら幸いです。
サクラチヨノオー辺りは本当に濃い面子が揃う時代なので、1つを取り上げると芋づる式に様々な話題が上がるので難しいんですよね。今回も危うくオグリを語りそうになりました…。
競馬ブームといえば一次でハイセイコー、二次でオグリキャップですが、三次はないんですよね。ディープインパクトが一番近いのでしょうが、調べてもそれらしい内容は確認できませんでした。
これは2頭に共通する「地方競馬からの快進撃。中央打倒」というドラマがあるからで、平たく言えば地方出身の馬が中央で活躍しないとインパクトに欠けるのかなーと思ったり。
それでは今回は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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