こんにちは。
こんなに長くウマ娘の記事を書けなかったの初めてじゃないですかね…すみません。しかし秋は本当に実競馬が面白く、皆さんもぜひ観戦してくださいね。私もTwitterで可能な限り共有しますので。
さて今回は【史実回想】6頭目、シリウスシンボリをご紹介したいと思います。
なんだこのイケメン!? と思った方も多いはず。さて、一体どんな競走生活だったのでしょうか。
手にした自信を胸に臨んだ欧州挑戦。世界最高峰の地で目にした光景とは―――
◆ 競走生活(1984/09~1988/10)
シリウスシンボリ | |
生年月日 | 1982年3月26日 |
両親 | 父:モガミ 母:スィートエプソム |
性齢 | 牡30歳 没 |
デビュー | 1984年09月16日 |
引退レース | 1988年10月30日 天皇賞秋 |
競走成績 | 26戦4勝 |
獲得賞金 | 中央:1億4,310万 |
GⅠ実績 | 1985年:日本ダービー |
現在 | ――――――――― |
1982年に父モガミと母スィートエプソムから誕生。
父モガミはフランス産の種牡馬。日本ではシリウスシンボリの他にジャパンカップ馬レガシーワールドや、史上初の牝馬三冠を果たしたメジロの至宝メジロラモーヌなどの名馬を輩出。
サイアーランキングでは1988年から7年連続で10位以内と安定した活躍を見せました。
母のスィートエプソムはシンボリ牧場の馬で、シンボリと言えばで有名なパーソロンを父に持ちます。繁殖生活での産駒数は5頭ですが、中央で勝利したのは未勝利勝ちのシンボリレーブ(オープン3着が最高)と、実質シリウスシンボリのみが産駒で活躍をしています。
シリウスは空に輝く恒星であり、夜空において非常に輝いて見えることで有名です。明言されているソースは確認できませんでしたが、後に活躍するアドマイヤベガのように星の輝きを願いとして馬名に込めたことが考えられます。

デビューは1984年9月。中山の芝1,600mでデビューすると、2番人気に推され1.1/4馬身差で優勝。見事デビュー勝ちを果たしますが、次走の芙蓉特別では1番人気で1着入選も斜行で失格に。
それでも3走目のいちょう特別で2着、4走目の府中3歳Sで1着と巻き返し、勝利で3歳を終えます。
そして4歳クラシックシーズンへ臨みますがここでトラブルが。シリウスシンボリの馬主である和田氏が騎手の交代を要望したのです。この発言の背景には斜行、出遅れで敗れた2敗の責を加藤騎手に求めたことがあり、リーディング上位の岡部騎手への乗り替わりを主張します。
これに担当していた二本柳調教師は反論。当時の同厩舎で主戦であった加藤騎手を庇い、岡部騎手へ交代するなら厩舎を変えてくれと真っ向から対峙します。結果、話の妥協点が見つからずシリウスシンボリは畠山厩舎へと転厩することに。
しかし話は終わらず、これに対し今度は厩務員組合が批判の声を挙げます。馬主、調教師、騎手、組合と大変に入り乱れた騒動の結末は二本柳厩舎への再転厩。そして次走の若葉賞だけ岡部騎手で臨むというものでした。なお、若葉賞は1番人気で出走し2馬身差で完勝しています。
この騒動が原因なのか馬の問題があったのか、その後は皐月賞とNHK杯へは出走せず一気に日本ダービーへ。1番人気に推された鞍上にはデビューから前走以外で手綱を握った加藤騎手が跨り、様々な視線が飛び交う中ゲートが開きます。
レースでは中団前目で先頭集団を見る形。しかし3コーナー半ばから進出を開始すると、最後の直線を向いた時には外から先頭へ並びかけ抜け出しを図ります。そこへ重馬場で極端に外へ馬が寄るのを見たスダホークが内から先頭へ出ますが、すぐさま差し返し最後は3馬身差で圧勝。ダービー馬に輝きます。
その後は菊花賞、とは行かずなんと欧州遠征を決行。春先の騒動が原因なのではないかなど多くの憶測が飛び交いましたが、何はともあれここから約2年の欧州挑戦。ここの詳細は確認できなかったため、以下に戦績のみ記します。
国 | レース名 | 格 | 人気 | 着順 | |
1985/07/27 | 英 | キングジョージ | GⅠ | 11 | 8 |
1985/09/01 | 西独 | バーデン大賞典 | GⅠ | ー | 4 |
1985/09/15 | 仏 | Pオランジュ賞 | GⅢ | ー | 6 |
1985/10/27 | 仏 | ロイヤルオーク賞 | GⅠ | 8 | 3 |
1986/04/20 | 仏 | エドゥヴィル賞 | GⅢ | 3 | 5 |
1986/05/06 | 仏 | シーシック賞 | ー | 1 | 3 |
1986/06/08 | 伊 | ミラノ大賞典 | GⅠ | ー | 5 |
1986/08/16 | 仏 | ゴントービロン賞 | GⅢ | 7 | 4 |
1986/09/14 | 仏 | フォワ賞 | GⅢ | 6 | 2 |
1986/10/05 | 仏 | 凱旋門賞 | GⅠ | 11 | 14 |
1986/10/19 | 仏 | コンセイユドパリ賞 | GⅡ | 3 | 4 |
1987/03/28 | 仏 | エドモンブラン賞 | GⅢ | 6 | 4 |
1987/04/12 | 仏 | アルクール賞 | GⅡ | 12 | 8 |
1987/05/02 | 仏 | ガネー賞 | GⅠ | 9 | 7 |
この欧州挑戦(障害除く)はスピードシンボリ、メジロムサシに次ぐ3頭目でしたが、これだけの長期挑戦は例がありません。また、手探りの状態であった海外競馬に対して掲示板を確保するなど一定の結果を示したシリウスシンボリは、優勝こそないものの善戦したと言ってよいでしょう。
また、大敗した1986年の凱旋門賞は名馬ダンシングブレーヴを始めとした豪華メンバーが集ったレースであり、例年で見てもより厳しいメンバー構成となっていました。
帰国後は6歳の毎日王冠から始動し、翌年の天皇賞秋まで計6戦を走りますがOPとGⅡで2着が1回ずつあった他は敗北。加えて7歳の毎日王冠では他馬を蹴り除外にしてしまうなどトラブルも発生し、次走の天皇賞秋後に骨折で引退となりました。
引退後は種牡馬なりますが、産駒の記録はオーシャンカレントの重賞2着まで。サイアーランキングでも記録されている8年間の中で最高が106位と、目立った活躍はできませんでした。
◆ シリウスシンボリについて

競走生活で26戦4勝と言われると首をかしげますが、唯一の重賞勝利が日本ダービーに加え異例の長期欧州遠征、厩舎や他馬とのトラブルなど大変にエピソードの多い馬となっています。
共に遠征予定なったルドルフの故障引退や所属厩舎との不和など、全てが円満であればかなり異なった経歴になったことは想像に難くありません。それにこれらは馬自身には関係のない「人同士のトラブル」が原因であり、そう考えると色々と人に振り回された馬なのかな、という印象を抱きました。
海外志向の強かった馬主の和田氏ですが、国内で1年でも専念していたらどうなっていたかは気になりますね。当時の欧州であれだけ走れる+日本ダービーの勝ち方は強い馬の証明であったと思いますから、GⅠのもう1つや2つは獲れていたのではないかと思います。
・三冠馬・ダービー馬などの小話

これまで同様に史実で共に走った馬からライバル関係をまとめようと考えたのですが
オグリキャップが2戦、タマモクロスが1戦
のみなんですね。ということで前後の時代を眺めながらつらつらとお話しましょう。話の肴にシリウスシンボリ前後のダービー馬でも。
馬名 | 通算戦績 | GⅠ勝利数 | 獲得賞金額 | |
1983年 | ミスターシービー | 15戦08勝 | 4勝 | 約4億1,000万円 |
1984年 | シンボリルドルフ | 16戦13勝 | 7勝 | 約6億8,400万円 |
1985年 | シリウスシンボリ | 26戦04勝 | 1勝 | 約1億4,300万円 |
1986年 | ダイナガリバー | 13戦05勝 | 2勝 | 約2億6,000万円 |
1987年 | メリーナイス | 14戦05勝 | 2勝 | 約2億400万円 |
やはり皇帝がずば抜けてます…流石は日本競馬史でも屈指の名馬….。ミスターシービーは本当に不憫というか、時代が悪かったですね。三冠達成してすぐ約1年の休養を余儀なくされる訳ですが、帰ってきたら皇帝がいるんですもん。しかし2年連続三冠馬は豪華すぎます。
それに2年連続シンボリ牧場なのもすごいですね、時代がよく出ています。シリウスの欧州遠征も、本来はルドルフの帯同馬としての扱いだったので、どれだけ前年のルドルフが特別視されていたかが分かります。
逆にその後はダービー馬の不振が続きますね。ある程度の活躍は見せますが突き抜ける馬は中々出ず、時代はドラマを呼んだトウカイテイオー、BNWウイニングチケット、そしてシャドウロールの怪物ナリタブライアンなど、第二次競馬ブームを皮切りに賑わい始める1990年代へ向かっていきます。
そもそもダービー馬は最大の名誉とされていますが、必ずしも先の活躍を約束されている訳ではありません。「その時点で馬体が充実している最も運のある馬が勝つ」のが日本ダービーであり、ダービー馬=名馬ではないのです。
そう考えると、日本ダービーを勝った上でその先も活躍し続ける馬は本当に名馬なのだなと思います。個人的には上記したシンボリルドルフ、一着至上主義ディープインパクト、黄金色の芸術オルフェーブルなどが特にお気に入りです。
※ 二つ名はヒーロー列伝コレクションを参照
このように考えていくと、やはり2020年の無敗三冠牝馬、牡馬が現役最強馬であり歴代最多GⅠ勝利のアーモンドアイに挑んだジャパンカップは、この先もうないレベルの盛り上がりだったのだろうなと思います。
◆ まとめ
いかがだったでしょうか。あくまで個人的なまとめですので、大目に見ていただけると幸いです。
シリウスシンボリは当時の海外であれだけなんだから国内だけならどうなっていたのでしょう。というのが私の素直な感想です。それほどに日本ダービーの勝ち方が良く見えたんですよね。
あと、ここまで読んでいただいて今更ですが今回はウマ娘要素がほとんどありません。本当にシリウスシンボリってどんな馬だったのだろうという記事になっています。なので期待と違った方がいたら申し訳ありません。次回をお待ちください。
それでは今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。