こんにちは。
今回は同室の話題ということで、テイエムオペラオー・ビワハヤヒデを取り上げます。
アドマイヤベガの回想記事や質問箱のご意見等で「和田竜二騎手」に触れる機会が多いなーと思い、両者とも育成実装済ということで、取り上げるに至りました。
のんびりご覧ください。
◆ 競走生活
まずは、現役時代の成績などを確認しましょう。
テイエムオペラオー | ビワハヤヒデ | |
生年月日 | 1996年3月13日 | 1990年3月10日 |
両親 | 父:オペラハウス 母:ワンスウエド | 父:シャル―ド 母:パシフィカス |
性齢 | 牡22歳 没 | 牡30歳 没 |
デビュー | 1998年08月15日 | 1992年09月13日 |
引退レース | 2001年12月23日 有馬記念 | 1994年10月30日 天皇賞秋 |
競走成績 | 26戦14勝 | 16戦10勝 |
獲得賞金 | 中央:18億3,518万 | 中央:8億1,769万 |
GⅠ実績 | 1999年:皐月賞 2000年:天皇賞春 2000年:宝塚記念 2000年:天皇賞秋 2000年:ジャパンカップ 2000年:有馬記念 2001年:天皇賞春 | 1993年:菊花賞 1994年:天皇賞春 1994年:宝塚記念 |
現在 | ――――――――― | ――――――――― |
ビワハヤヒデの方が6年早く生まれています。ですが互いに「ハヤヒデさん」「オペラオーくん」と呼んでいるのは良いですね。
テイエムオペラオーは有名も有名「世紀末覇王」ですね。2000年の年間無敗(GⅠ5勝を含む)は空前絶後の大記録。そもそもこんなローテーションを組む馬すらいない現代競馬では、二度とお目にかかれないでしょう。
※ 近年だとキタサンブラックが2017年に6戦4勝を全てGⅠ(春秋古馬三冠路線)で走り抜いています。
また、鞍上の話題もよく聞きますね。当時の和田竜二騎手は21歳(ダービー騎乗時)と非常に若く、不振による(ダービー、菊花賞の結果を受けて)騎手交代の話も当時起こりました。
それに対し、調教師の先生が全てを投げ打つ覚悟で継続をオーナーへ嘆願したのは大変有名な話。その話があって翌年8戦8勝の大偉業ですから、人馬共に非常にドラマの多いコンビでした。

ビワハヤヒデは安定感が光った強豪馬ですね。15戦連続連帯は史上2位とこちらも大記録。よく皆さんがネタにする「ウイニングライブの常連」は伊達ではありません。
よく話題となる「兄弟対決があればどうなっていたのか」に関しては、調べた限りブライアン優勢の見方が多かったです。
これは間違いなく強豪馬ではあったものの、特筆する武器がなく4歳時に大舞台での取りこぼしが目立ったビワハヤヒデとは逆に、クラシックを勝つごとに着差が広がっていく「怪物」とのインパクトの差であったと個人的には思っています。

種牡馬成績に関しては、両馬ともに平地での重賞馬は出ていません。
しかし、ビワハヤヒデ産駒のサンエムエックスは2000年に現在改修中の京都競馬場2,400mレコードを記録しており、これは未だに破られていません。
◆ 2頭にまつわるエピソード
次にそれぞれの代表的なエピソードや、共通点を見てみましょう。
・テイエムオペラオー

和田騎手との話は別記事の構想があるので、メイショウドトウの話をしましょう。
メイショウドトウとの縁は2000年の宝塚記念から始まり、実に9戦を共に走ります。初対面から5戦は全てオペラオー1着、ドトウ2着の結果であり、オペラオーが常に優位を保っていました。
しかし迎える2001年宝塚記念、ここでついに逆転が起こります。
ドドウの執念!ドトウの執念!
6戦目にしてついにメイショウドトウが優勝。テイエムオペラオーはここを勝てば凱旋門賞挑戦が話題になっていただけに、欧州遠征とGⅠ8勝の大偉業をまとめて打ち砕かれる形に。
その後は2頭揃って天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念と出走しますが共に勝利は無し。全てにおいて年下の馬が優勝する「世代交代」を印象付ける結果を持って、メイショウドトウと共に有馬記念でその競走生活に幕を引きます。
※ 最後の有馬記念はメイショウドトウ4着、テイエムオペラオー5着。
翌年には合同での引退式も行われ、一緒に種牡馬入りとなりました。
・ビワハヤヒデ

ビワハヤヒデはミホノブルボンがいたから菊花賞を勝てた。は言い過ぎですかね。
いわゆるBNWが席巻した1993クラシック戦線ですが、日本ダービーが終わった時点でビワハヤヒデの勲章は「デイリー杯3歳S(GⅡ)1,400m」のみ。GⅠでの2着3回は立派ですが、やはり満足のいく内容ではありませんでした。
実績と馬体を見て「距離が長いのではないか」「そもそも芝向きなのか」「騎手の問題」など多くの話が飛び交う中、陣営は前年に坂道の申し子と呼ばれたミホノブルボンを参考に坂道特訓を決行します。
量を増やしたのはもちろん、終盤にはドンドン早い時計を求める追い込み。流石にビワハヤヒデが嫌がるそぶりを見せるシーンもありましたが、最終的に特訓は成功。見違えるような馬体とパワフルさを手に入れます。
神戸新聞杯を完勝して臨んだ菊花賞。ナリタタイシンは肺出血の影響から明らかな不調で、実質ウイニングチケットの2強状態でレースが始まります。(ビワハヤヒデ2.4倍、ウイニングチケット2.8倍)
しかしレースは好位で進めたビワハヤヒデの圧勝。前年にライスシャワーが更新したばかりのレコードタイムを上回る新レコードを叩きだし、最後の一冠を最高の形で手にしました。
「春に一冠でも取れていたらあんな冒険はできなかった」と後に述懐するほどのハードトレーニングを乗り越えたビワハヤヒデ。そんな根性があったからこそ、翌年の活躍があったのでしょう。
両馬の共通点

そして同室の共通点へと話は変わりますが
・競りでの購入価格が非常に安価
・デビューから引退まで掲示板(5着)を外したことがない
・クラシックで3強を形成している
・共に年度代表馬・最優秀4歳牡馬、5歳以上牡馬に選出されている
くらいでしょうか。順番に解説します。
まず競りでの購入価格ですが、オペラオーが1,000万ハヤヒデが約560万となっています。ハヤヒデが約と表記されているのはイギリスの競りで購入されたからですね。
購入価格に対しオペラオーは約184倍、ハヤヒデは約146倍を稼いだ計算になります。馬主孝行だ…。
次にクラシックについて説明します。それぞれのクラシック時のライバル関係ですが
1993年クラシック三冠
皐月賞 | 日本ダービー | 菊花賞 | |
ビワハヤヒデ | 2着(3.5倍-2人気) | 2着(3.9倍-2人気) | 1着( 2.4倍-1人気) |
ウイニングチケット | 4着(2.0倍-1人気) | 1着(3.6倍-1人気) | 2着( 2.8倍-2人気) |
ナリタタイシン | 1着(9.2倍-3人気) | 2着(4.0倍-3人気) | 17着(11.1倍-3人気) |
1999年クラシック三冠
皐月賞 | 日本ダービー | 菊花賞 | |
テイエムオペラオー | 1着(11.5倍-5人気) | 3着(4.2倍-3人気) | 2着(3.5倍-2人気) |
アドマイヤベガ | 6着( 2.7倍-1人気) | 1着(3.9倍-1人気) | 6着(2.3倍-1人気) |
ナリタトップロード | 3着( 3.3倍-2人気) | 2着(3.9倍-2人気) | 1着(4.3倍-3人気) |
こんな感じ。トップロードもタイシンが実装してるので来る可能性はありそうですが果たして。
最後にデビューからの掲示板、年度表彰ですがこれは書いている通りですね。
特に5歳時はオペラオーは8連勝、ハヤヒデも4連勝(5戦目で怪我により引退)でしたから、納得の選出だと思います。共に安定して力を出せる馬でしたから、この時代に3連系の馬券とかあったら間違いなく売れまくっただろうなーと思いました。
結論、この部屋は優等生の部屋なのではないかと。

◆ まとめ
いかがだったでしょうか。今回は思ったより見つけられた気がします。
調べていて一番驚いたのはビワハヤヒデの購入価格ですよね。約560万の子がこれだけ走ってくれたら嬉しいですよね。因みにメイショウドトウも500万ながら9億稼いでます。なんじゃこりゃ…。
テイエムオペラオーがよくハナ差圧勝って言われるんですが、その影響か2000年の無敗年の最高オッズって1.5倍なんですよね。どこかで負けるだろうって思われながら気づけば有馬記念って感じだったんでしょうか。
今回は以上です。いつもより共通点を見つけられたので満足してます。ありがとうございました。