【質問箱】ウマ娘たちの「二つ名」の元ネタって?(3/5) #024

ウマ娘

こんにちは。

今回は質問箱にいただいた内容についての回答記事(3/5)になります。

二つ名も後半戦に入りますが、同じように解説していきたいと思います。

それではよろしくお願いします。

◆ キャラクター別「二つ名」の由来

・アグネスタキオン「超光速のプリンセス」

   

アグネスタキオンの名前の由来が、冠名のアグネスに「超光速の粒子」の意味を持つタキオンなので、そこからの二つ名であることが考えられます。

プリンセスというのは当然お姫様なのですが、これは当時「アグネス」の冠名を持つ馬が多く活躍していたことから「名門」「一族」といったイメージが湧いての設定でしょう。アグネスの名を持つ馬で活躍(GⅠ勝利)した馬は以下の通り。

   

アグネスレディー(1979年)・アグネステスコ(1981年)・アグネスフローラ(1990年)アグネスワールド(1999年)・アグネスデジタル(2000年)・アグネスフライト(2000年)・アグネスタキオン(2001年)

・ウイニングチケット「新時代の旗手」

   

平成三強と呼ばれる「オグリキャップ」「スーパクリーク」「イナリワン」が活躍するのが1989年~1990年の平成初期。そしてそれらと入れ替わるように台頭してくるのが新平成三強と呼ばれるBNW「ビワハヤヒデ」「ナリタタイシン」「ウイニングチケット」になります。

ここで注目したいのが「新時代」というワード。BNWの3頭がクラシックを賑わせるのが1993年なので、ほんの3年程度しか違わないように見えますが、明確に違う部分があります。お分かりですか?

   

答えは、生まれた年です。

平成三強は昭和生まれ、BNWは平成生まれの競走馬になります。このことから、平成という新しい時代を指しての二つ名であると考えられます。

また、厳密に語れば前年のミホノブルボンライスシャワーなどが平成生まれ最初の世代になりますが、無敗の三冠阻止、その菊花賞で引退など、話題の浮き沈みが激しい世代でした。このことから翌年のダービー馬であるウイニングチケットに、この二つ名が付けられたとも考えられます。

・サクラバクシンオー「驀進王」

   

爆進王」ではなく「驀進王」のようですね。 読みは同じく「バクシンオウ」、驀にはのりこえる・まっしぐらなどの意味があるらしく、爆発的なスピードは勿論ですが、どこまでも進んでいくイメージを二つ名から付けたものと思われます。

   

戦績も二つ名に恥じないもので、21戦11勝(1,400m以下で12戦11勝)と驚異的なスプリント力を示しました。裏を返せばマイル以上は向かない馬でしたが、引退レースのスプリンターズSでレコード優勝など、最後まで電撃戦の王者として時代に君臨しました。

・ハルウララ「ハルウララがんばる」

   

高知競馬の所属。二つ名条件が「ファン55万人」であるように、当時は大変な人気馬でした。しかし「がんばる」から分かるように勝ち星が遠い競走生活を強いられ、結局113戦113敗の勝利0で現役生活を終えています。

しばらくはどこにでもいそうな「地方で連敗を続ける競走馬」でしたが、その連敗する様子が各メディアで取り上げられると人気が沸騰。1着を取れない=当たらないとして馬券がお守り代わりに購入されるなど、社会現象にまで発展しました。

   

このブームに経営不振だった高知競馬は助けられる形となりますが、生産者や関係者などは複雑な思いがあり、負けるほどに母馬の評価が下がる競走馬としての評価はされない、などブームの裏側には真逆の空気が渦巻いていました。

競走馬の本懐はレースで勝つこと。その観点から考えればハルウララは本来の願いを叶えられない中で人気を博した馬であり、何とも言えない気持ちを覚えます。

・マチカネフクキタル「笑角来福」

  

こちらは馬名からですね。言われてみるとゲーム内でもよく笑っている気がします。馬名の由来は一般公募での決定で、約9,000通の中から複数来ていたフクキタルに決まった経緯があります。

二つ名条件に組み込まれている「菊花賞を含むGⅡで3連勝以上」は史実からですね。日本ダービー7着の後から条件戦、GⅡ、GⅡ、菊花賞と4連勝。一気にGⅠホースとなります。

   

特にサイレンススズカを捕まえた神戸新聞杯の走りは高く評価されており、菊花賞を制覇した後も活躍を期待されましたが、度重なる故障に泣き菊花賞がキャリア最後の勝利となっています。

・ナイスネイチャ「愛しき名脇役」

  

非常にファンに愛された競走馬。有馬記念3年連続3着という珍記録を含める3着8回など、惜敗が目立つものの、GⅡを3勝など多くの活躍を見せ、そのひたむきに走る姿に励まされたというファンが多数いたそうです。

また、引退後の各種アンケートでは多くの投票を集め、1999年に新券種「ワイド」が導入されればイメージキャラクターに抜擢されるなど、その人気は競馬史上でも屈指のものです。

   

1988年生まれの33歳ながら今も元気に暮らしているナイスネイチャ。今年のバースデードネーションの寄付額を見てもその人気は明らかで、これからものんびり長生きして欲しいですね。

・キングヘイロー「世代のキング」

   

二つ名の条件が「継承元2人のGⅠ勝利数が合計11勝以上。加えてスペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサーにそれぞれ3回以上勝利する」。難しそうですね…。

まずGⅠを合計11勝以上の継承ですが、これは史実の父ダンシングブレーヴ(GⅠ4勝)母グッバイヘイロー(GⅠ7勝)からの設定でしょう。もし凱旋門賞が実装されていたら凱旋門賞優勝も含まれそうな設定です。国内だけで良かったですね。

タンシングブレーヴは1986年の凱旋門賞の優勝馬。

   

そして同期ライバルに各3勝ですが、これは二つ名を得るに当たり必要なハードルを用意したという感じでしょうか。または、シナリオは史実準拠ですがゲームならではのIF(世代のキングになること)を果たしたご褒美の意図もあるかも知れません。

・テイエムオペラオー「世紀末覇王」

   

20世紀最後の2000年に年間8勝の完全制覇を果たしたことが二つ名の由来です。内容もGⅡ3勝に加え天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンC・有馬記念のGⅠ5勝。文句なしの覇王がそこにいました。

翌年も天皇賞春を制しGⅠ7勝。偉業となる皇帝越えを期待されましたが、そこからドトウの執念や世代交代の波に飲まれる形で、GⅠ8勝目は叶わず引退。ラストランの有馬記念は完敗の5着でした。

   

当時若手であった和田竜二騎手がテイエムオペラオーに競馬を教わったエピソードは大変有名で、名馬が騎手を育てる光景はいつの時代にも存在します。

そして成長した騎手が、いつの日か競馬を教わった名馬のこどもに乗りGⅠを勝つ。そんなドラマの瞬間を、ぜひ色んな方に見て欲しいなと思います。

・ミホノブルボン「坂道の申し子」

   

幼駒の頃から坂道調教に定評のあった戸山調教師に預けられ、他の馬よりも多くの坂道調教を行い続け無敗の二冠馬となったことから付いた二つ名であると考えられます。

   

距離不安から世代唯一の無敗GⅠ馬であるにも関わらずスプリングS(1,800m)で2番人気の評価を受けるなど、色濃くスプリンターとして見られていたミホノブルボンですが、そこで7馬身差の圧勝とすると、次走の皐月賞から距離の延長に関わらず1倍台のオッズを刻み始めます。

しかし、菊花賞の前哨戦である京都新聞杯で勝ちながら終いの伸びに懸念を覚えたミホノブルボン陣営と、対照的に皐月賞から着差を詰め続けたライスシャワー陣営

   

そしてここに無謀に近いハイペースの逃げを打ったキョウエイボーガンが絡み、菊花賞の結末へと繋がっていくのです。

◆ まとめ

   

質問箱にいただいた内容より、今回は19/46~27/46の紹介です。

   

大変遅くなりました…。この質問も受け取って何日経ったんでしょうね…ちゃんと完結はさせますので、ご興味のある方は引き続き読んでいただけたらと思います。

あとは自分の色とか出していきたいと考えているので、主観メインの記事であったり趣味の分野からお酒の話であったり、少しずつコンテンツも増やせたらなーなんて。需要ないかな…。

とりあえず記事のアクセス数などを参考に、需要のありそうな記事を模索していけたらと思います。

   

今回は以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

error: Content is protected !!