【実装考察】怪我に復活、そして怪我。その果てに待つ栄光とは サクラローレル #007

ウマ娘

こんにちは。

【実装考察】第二弾に参ります。以前ツイートで話題にした馬ですが、覚えてるかな。

今回は「サクラローレル」。聞いたことはありますか?

三冠馬ナリタブライアンの裏で怪我と戦い、満身創痍のその身を燃やして栄光を掴む激動の物語。

◆ 競走成績(1994/01~1997/09)

サクラローレル
生年月日1991年5月8日
両親父:Rainbow Quest
母:ローラローラ
性齢牡 29歳没
デビュー1994年1月6日
引退レース1997年9月14日
フォワ賞
競走成績22戦9勝
獲得賞金6億2699万1000円
GⅠ実績1996年:天皇賞春
1996年:有馬記念

母ローラローラにレインボウクエスト(代表産駒ソーマレズ:凱旋門賞馬)を種付けし受胎した状態で来日、誕生した経緯を持ちます。幼い頃から脚部に不安があり、その関係でデビューは4歳(現3歳)と遅いタイミングに。

   

デビュー戦は芝1,600mで単勝1.8倍と期待をされるも9着。次走は6.7倍で3着と上向くものの、脚部不安から芝での連闘を嫌った陣営は3戦目にダートを選択。1番人気に応え無事勝ち上がりとなります。

そして条件戦のダート1,800mを1.2倍の支持で完勝したサクラローレルは、日本ダービーへの切符を求めてトライアルレースである青葉賞へ出走。

ここまで芝3戦、ダート3戦と脚部を気遣いつつも大舞台を目指してきた同馬の支持は7.1倍の3番人気。レースは前崩れの形となりますが、有力馬と共に差し脚を伸ばしたサクラローレルは3着と好走。無事にダービーへの切符を手中に収めます。

   

しかし、日本ダービー間近のタイミングで脚部不安が形となり球節炎を発症。長期休養を余儀なくされ、日本ダービーの夢は潰えることに。

【一方、日本ダービーではナリタブライアンが二冠を達成。三冠へ向けて着々と歩みを進めます。】

4か月の休養から戻ったサクラローレルは復帰初戦の条件戦で2着と好走。重賞での活躍はなかったものの、年内を昇級戦に使い12月に無事オープン入り。翌年へ向けた準備がこれで整います。

【世間では三冠を成し遂げたナリタブライアンがそのまま有馬記念も制覇。皇帝の三冠から10年の時を経て誕生した最強馬に、競馬界隈が熱狂します。】

   

年が明けると「一年の計は元旦にあり」ならぬ「一年の計は金杯にあり」。金杯(GⅢ)へ出走したサクラローレルは2番人気ながらも2.1/2馬身差の完勝でついに重賞初勝利

続く目黒記念(GⅡ)は早目抜け出しを強襲され2着も、大舞台への手ごたえを確かに感じていきます。

しかし悪夢が。その後の調教中に骨折が判明すると、診断結果は「両前脚第三中手骨骨折」。最悪の事態こそ回避したものの、当時の獣医師がレース復帰は難しいと考えるほどの怪我。ですが陣営は諦めず治療の道を選択します。

サクラローレルが次にターフへ姿を見せるのは、実に13か月後になります。

1996年中山記念、6歳になったサクラローレルは9番人気に加え本命は前年「皐月賞優勝・ダービー2着」のジェニュインと厳しい復帰戦。しかし最終コーナーで馬群の割れ目を後方から進出し、鋭い末脚で見事優勝を飾ります。

そして、昨年出られなかった天皇賞春へ。待つのは世代王者の「シャドーロールの怪物」、そして阪神大賞典でその怪物と世紀の叩き合いを見せた「マヤノトップガン」。桜は咲き誇れるか。

   

前哨戦の余韻そのままに2強状態となった中、サクラローレルは3番人気に推されます。しかしレースでは早目先頭のマヤノトップガンを捕まえたナリタブライアンを外から強襲。最後は見事に差し切って、ついについにのGⅠ初制覇を成し遂げます

怪我に幾度と泣き、王者となった同世代の怪物を負かしての勝利は勢いをもたらし、その後はオールカマーに有馬記念で優勝。この年の年度代表馬に輝きます。

翌年も現役を続行しますが、骨折もあり初戦はぶっつけ本番の天皇賞春。昨年の優勝に続く連覇を狙いますが、マヤノトップガンがレコードを2.7秒更新する驚愕の走破タイムで優勝。

それでも2着を確保したサクラローレルは、最後の大舞台である凱旋門賞へ挑みます。

   

しかし夢は前哨戦のフォワ賞まで。レース中に「屈腱不全断裂」を発症してしまい最下位となると、このレースを持って引退となります。現地の獣医師が安楽死を提案するほどの大怪我でしたが、何とか一命をとりとめ、年末には引退式を行いました。

常に怪我と戦い続け、同期の三冠に若手の台頭を見続けながら、それでも走ることをやめなかったサクラローレル。その末に6歳で掴んだ優勝と年度代表馬の称号は、諦めずに夢を追ったからこその結果なのでしょう。

◆ 実装済みのウマ娘との関連

マヤマベ

サクラローレルは、ここまで書いてきたようにナリタブライアン世代になります。

実装組の同期はナリタブライアンヒシアマゾンビコーペガサスのみ。しかしサクラローレルは怪我で遅咲きなので、活躍時期は入れ替わるように前後しています。

※ ナリタブライアンとは、6歳の天皇賞春での1度しか走る機会がなかった。

   

そこでライバルと目されるのがマヤノトップガンマーベラスサンデーです。実際に当時は3強と呼ばれており、大舞台で何度も顔を合わせ競い合っていました。

今後実装されるのであれば、ここにバブルガムフェローも絡んでくることが予想されます。
(1996年:天皇賞秋にて優勝)

サクラローレルマヤノトップガンマーベラスサンデー
1996年 天皇賞 春1着(3人気)5着(2人気)――――――――
1996年 オールカマー1着(2人気)4着(1人気)――――――――
1996年 天皇賞 秋3着(1人気)2着(4人気) 4着(2人気)
1996年 有馬記念1着(1人気)7着(2人気) 2着(3人気)
1997年 天皇賞 春 2着(1人気) 1着(2人気) 3着(3人気)

血統の面を話すと、日本で活躍したレインボウクエスト産駒は同馬以外で2001年のアドマイヤカイザー(代表勝ち鞍:エプソムカップGⅢ)のみ。なのでウマ娘での血統の絡みはないでしょう。

◆ 実装の可能性を考えた理由

悩むバクシン

サクラローレルを取り上げた理由ですが、まとめると以下になります。

サクラの馬主様から許可をもらえている(バクシンオーチヨノオーなどの実装から)

マーベラスのライバルポジションに最適(シナリオ中で見ない)

・先輩ながら後輩の背中を追う構図が良い(個人の主観)

マヤマーベラスがいてローレルがいないのは違和感しかない

一番の課題である馬名使用の許可は大丈夫そうなので、(ローレルだけ使用許可が下りない理由をご存知の方はコメントで教えてくださると助かります)以上のプラス要素から実装の可能性に至りました。

他の方も多く言及されているように、サクラローレルは以前のアグネスワールドよりも実装されるなら早いと思いますし、ほぼ確実に実装されると踏んでいます。

   

キャラクターデザインについては見当が付きませんが、怪我が非常に多かった馬なので病弱な設定とかで運用されるのかなと思ったり。

◆ 語りたいだけのコーナー

トレーナー

語りたいだけのコーナーです。飛ばされても問題ないと思いますが、良ければどうぞ。

・凱旋門賞挑戦について

   

サクラローレルの凱旋門賞挑戦は、5歳の金杯優勝後に計画されていたとされています。結果としてGⅢを1勝だけの馬が行くことに対する風当たりで躊躇してしまったようですが、当時の調教師の先生は後悔していたそうです。

また7歳時の凱旋門賞に仮に出れていた場合も、レコード優勝のパントレセレブル・後のジャパンカップでエアグルーヴの優勝を阻むピルサドスキー・96,凱旋門賞優勝のエリシオなど非常に強力なメンバーだったので、難しかったと思います。

・後輩を追う先輩の構図について

   

これはクラシックという一世一代の舞台で絶対的な力を示したナリタブライアンに対して、堂々と渡り合ったマヤノトップガン特別な感情を持つのではないかと考えたからです。

念願の初対戦が最後の対戦となったサクラローレルに、怪物と競ってきたマヤノトップガンが立ちはだかる。その背中にはナリタブライアンの影が見えて…とか。ちょっと無理がありますかね…。

・サクラローレルのその後

   

引退後は2012年まで種牡馬として働き、2020年に老衰でこの世を去ってしまいます。しかしその馬齢は29歳で、平均とされる25歳~30歳の寿命を全うできています。余生も8年ほどあった計算で、のんびりできたことでしょう。

現役時代に怪我が非常に多かった馬でも、最後が老衰と聞くと良かったなと思います。最後のその時まで健やかに生きて欲しいですよね、頑張っていない馬なんていないのですから。

◆ まとめ

いかがだったでしょうか。非常に長くなりましたが、お楽しみいただけたでしょうか。

   

サクラローレルは本当にドラマの多い馬で、調べる過程でレース映像に没頭して気付けば書く時間がない、となる場面が何度かありました。

また、引退した翌年の1998年から海外競馬への扉が一気に開いていく、いわば「日本競馬の国際化」であったことからも、サクラローレルが海外で活躍することになっていたら「先駆け」と呼ばれていたのだろうな、と思ったりもしました。

   

今回は以上です。本当に長い内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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