こんにちは。
来月ついに1周年ですね。どんなイベント、実装が来るのか今から楽しみです。
さて今回は【史実回想】9頭目、ヤエノムテキをご紹介したいと思います。
サクラチヨノオーやメジロアルダンと共にクラシックを戦った、その競走生活に触れてみましょう。
競馬の熱が渦巻く三強の時代、負けじと輝く栗毛の馬体がそこにあった―――
◆ 競走生活(1988/02~1990/12)
ヤエノムテキ | |
生年月日 | 1985年04月11日 |
両親 | 父:ヤマニンスキー 母:ツルミスター |
性齢 | 牡29歳 没 |
デビュー | 1988年02月27日 |
引退レース | 1990年12月23日 有馬記念 |
競走成績 | 23戦08勝 |
獲得賞金 | 中央:約5億2,400万 |
GⅠ実績 | 1998年:皐月賞 2000年:天皇賞秋 |
現在 | ――――――――― |
1985年に父ヤマニンスキーと母ツルミスターから誕生。
父ヤマニンスキーは1978年にデビューした中央5勝の競走馬。重賞勝ちはないものの、父ニジンスキーが種牡馬となり開花。ヤエノムテキ、ライトカラーとGⅠ馬が2頭に加え、ヤマニンシアトルやツルマルガイセンなど重賞馬も多く輩出しています。
母ツルミスターは中央で3戦したものの入着できず引退。繁殖牝馬となってからは計12頭を出産。代表産駒であるヤエノムテキがGⅠ2勝(重賞5勝)しますが、他の産駒は思うように結果が残せず重賞馬となったのはこのヤエノムテキだけとなっています。
デビューは1988年2月末、阪神のダート1,700mで迎えます。1番人気は期待を背負う名門一族のメジロマーシャスに譲り2番人気としますが、レースでは7馬身差を付け圧勝。新馬勝ちを収めます。
次走の丁沈花特別(400万下)では着差がさらに拡大。2着に10馬身以上の大表示で再び圧勝とすると、3走目は連闘で初の芝レース毎日杯へ出走します。しかしここには葦毛の怪物オグリキャップが出走しており、そのオグリキャップに3馬身~4馬身ほど離された4着に終わります。
4走目は皐月賞へ出走登録すると、賞金順で抽選となるも見事突破。出走へこぎつけます。
当日は1番人気にスプリングSを制したモガミナイン、2番人気に3歳王者のサクラチヨノオーが並び、ヤエノムテキは毎日杯4着からの参戦もあり9番人気と低評価での出走となります。
レースでは先行策を取り前を窺いながらレースを進めると、終盤にやや位置を下げ最後の直線を7番手で迎えます。前には押し切りを図るサクラチヨノオーが見えますが、これを内から強襲。残り100mで振り切ると、大外一気で迫るディクターランドに3/4馬身をつけ優勝。4戦目で皐月賞馬に輝きます。
そして次走は夢の大一番、日本ダービーへ。
皐月賞馬となったことで2番人気に推されたヤエノムテキに立ちはだかるのは、最優秀3歳馬に輝いた1番人気サッカーボーイ。しかしオッズは非常に割れており、3番人気サクラチヨノオー4番人気コクサイトリプルと差のないオッズで発走を迎えます。
レースは中団辺りで進め、外目から勝負する形で最後の直線へ。しかし前ではサクラチヨノオーとメジロアルダンの激しい攻防が続き、似た位置から仕掛けたコクサイトリプルにも遅れを取り最後は届かずの4着。クラシック二冠とはなりませんでした。
その後は中日スポーツ賞(GⅢ)でサッカーボーイと対戦し半馬身差の2着としたところで休養に。秋へ備えます。
9月から再始動するとUHB杯(OP)、京都新聞杯(GⅡ)と連勝。陣営は日本ダービーの敗戦を距離と考えていたものの、サクラチヨノオーやメジロアルダンなど強力なライバルが不在なこともあり菊花賞への出走を決意。戦績とメンバー構成から抜けた1番人気に推されレースへ臨みます。
しかし先頭集団に付け迎えた4コーナーから最後の直線。外から上がって行こうと鞭が飛びますがここから失速。徐々に前との差が開いていき最後は10着と大敗し、距離の壁に屈することになってしまいました。(優勝馬は後の平成三強スーパークリーク)
次走に当時はGⅡで施行されていた鳴尾記念(2,500m)で距離不安を確認すると、結果はハナ差の辛勝。以降古馬になってからは、大舞台を除き2,000m前後を主戦と定め戦っていきます。

古馬となり日経新春杯2着、産経大阪杯1着と走り挑んだ宝塚記念では堂々の1番人気も、後方の位置取りが影響したか平成三強に名を連ねるイナリワンに遅れた7着と敗戦。
更に秋になると天皇賞秋、有馬記念と走りますが平成三強(オグリ・クリーク・イナリワン)にダービー2着のアルダンなど非常に強力なライバルに屈し4着→6着と自身初の3連敗。6歳シーズンでの巻き返しを誓います。
現役最終年となる6歳シーズン。春にかけて走ったGⅡ3連戦では上位人気も2着→3着→3着と勝利に至らず、ここでデビューから手綱を握った西浦騎手から岡部騎手へ変更に。しかし流れは変わらず続く安田記念を2着、宝塚記念を3着で上半期を終えます。
秋になり天皇賞秋へ進みオグリキャップ、オサイチジョージに次ぐ3番人気に支持されると、レースでは得意の先行策。最後の直線で内から抜け出しを図ります。
残り200mで完全に抜け出したヤエノムテキにバンブーメモリーが迫るも届きそうにない中、外からメジロアルダンの強襲が。勢いは完全にメジロアルダンもこれを何とか抑え込むと、最後はアタマ差で優勝。実に1年半振りの勝利となります。
続くジャパンカップは海外馬に表彰台を独占される中で6着、ラストランの有馬記念では燃え尽きたと思われていた同じく引退のオグリキャップに7着と敗れ、これを持って引退となりました。
また、引退後は種牡馬となりますが、産駒から重賞馬など活躍馬は出てこず2003年に種牡馬を引退しています。
◆ ヤエノムテキについて

競走生活でも触れましたが、競馬ブームを牽引するオグリキャップと同期になります。オグリキャップの他にも当然その時代の平成三強にアルダンなど、ウマ娘でも活躍する強力なライバル達と常に競い合っていきます。
ヤエノムテキを振り返った時に感じるのは安定感ですね。菊花賞の10着を除けば一番負けたレースでも7着と能力が高く、15/23レースで3着以内に入っています。優秀ですね。脚質は先行で、後方スタートとなった3戦は全て着外と前で競馬を組み立てる競走馬でした。
また、引退レースの有馬記念で放馬したように気性が難しく、それが理由で引退式を行わなかったエピソードも残っています。
・競走生活から見る関係性

ここは触れたように平成三強にクラシックのライバル達となるでしょう。ゲーム内でもサクラチヨノオーやバンブーメモリーと話すイベントがあり、同期の繋がりを見ることができます。8
実際に共に走った競走馬の名を挙げると、オグリキャップ、サクラチヨノオー、メジロアルダン、スーパークリーク、イナリワン、バンブーメモリー、ゴールドシチー、メジロライアンとなります。
ここで気付く方もいるかと思いますがタマモクロスの名前がありませんね。時代的にはタマモクロスも被るのですが、これはヤエノムテキが4歳秋に古馬GⅠへ出走していないので実現していません。タマモクロスはこの年に引退してしまいますからね。
ここまででよく登場する平成三強というワードですが、実際どの程度強かったのかと思う方も少なくないと思います。そこで今回のヤエノムテキを考えてみると、実に8度この3頭のいずれかに敗戦しており、そこから何となく強さが計れるのではないでしょうか。
この平成三強がどれほど大舞台で活躍していたのかの詳細については、以前に書いたメジロアルダンの記事内で記載していますので、未読の方はそちらの方からご確認くださると幸いです。

◆ まとめ
いかがだったでしょうか。初めて知る内容があれば嬉しく思います。
距離の制限がシビアだった馬と言って差し支えないでしょう。実際に2,400m以上のレースで勝利したのは4歳時の鳴尾記念のみで、その際もハナ差とギリギリの勝負となっています。
そして何より同じ時代に走るライバルが強烈でしたね…その中でGⅠ2勝は立派ですし、戦績を見ても安定しているのですが、もう少しタイトル獲れたのかもと思うのもまた事実です。
しかしこうした大舞台にコンスタントに出走してくれる馬は非常に貴重で、戦績以上にそういったレースへの取り組みや体の強さなども評価していきたいですね。最近ならキセキが好きでした。
それでは今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。